危ない「漢方のお医者さん」との戦いの記録

「専門家」が誰も助けてくれなかったので、独学・自分の体で命をかけて漢方薬の人体実験した記録。書いてあるとおりかなり危ない状況だったので、安易にまねしないでね。

2014年12月

先日の手術で、長年の懸案がひとつ解決した。
あくまでも「ひとつ」
全部が解決したわけじゃない。
とりあえず、肝陰虚とそれに伴う陰虚火旺・肝気鬱結、気虚等は、現在も取り組み中。


そのうえで、私の腸の状態について、時系列に沿ってまとめてみた


1回目術前:脾気虚(上熱下寒の複雑な状態により、子宮筋腫発生)



1回目手術により腸が重度に癒着



脾気虚にさらに腸の気滞血瘀発生
 腹の痛み、不消化便、ガスがたまる、など
 腸の機能低下により、漢方薬(特に重い補陰剤と腸に負担のかかる清熱剤)の吸収が悪くの効き目が悪い状態に



加齢及び子宮筋腫による慢性的な失血によりさらに腸の機能が衰える



肝の陰虚火旺悪化



腸が巻きついていた左卵巣がチョコレート嚢腫化、さらに腸に負担がかかる


肝陰虚さらに悪化→腸の状態悪化のループに



2回目手術により癒着剥離及び子宮筋腫摘出し失血を防止



腸の状態かなり改善、現在に至る。
目下これまで難しかった補陰・清熱にいそしむ毎日




という状況ではなかろうかと。

そもそも最初の手術で何でこんなに癒着したかというと、脾気虚などで、もともとおなかの動きがよくなかったから。

本来、手術するにしても、気虚(及び陰虚火旺)をどうにかしてからじゃないと、非常に危険な状態だったとわかる。


っつーか、今の私なら、1回目の手術する前に、当時あった直径2センチ未満の筋腫なら、手術しなくてもどうにでもなりそうな気がするし。

たかだかそんな程度のもののために、私の大事な十年以上の歳月を苦しくつらいものにしてしまったわけだな。
でも、当時の私にそんな知識もあるわけがなく、それができる専門家も、私には見つけられなかった。


今回私を助けてくれたのは、西洋医学。
でも、長年苦しくつらい目にあわせたのも、西洋医学。
そして西洋医学で見放されたつらい状況を何とか助け、大手術の侵襲から救ってくれたのは中医学。

あと思ったのは、私がこうなってからやっぱり術後腸がひどく癒着(多分)した人と会ったりしたんだけど、やっぱり軒並み気虚が根底にあったな。
気虚の人って癒着しやすいんだろうなぁ。



ちなみに、今回、手術に乗った医師の一人(日本漢方をかじっているらしい)から、「(私の)臓器は虚症の臓器じゃなかったよ」と言われた。

私も疾患を持つ哺乳類のナカミをぜんぜん見ていないってわけじゃないので、彼の言いたいことはわかる。
彼が言っているのは、なんか力がなくて白っぽくて・・・と言う臓器の状態ではなかろうかと思う。

でも、それ、気虚の臓器だよ。

私の場合、気虚は改善してきていて、目下の問題は陰虚だから。
陰虚の臓器って、多分、赤っぽくて炎症を起こしやすくてみずみずしくなくて(組織間に水分が多いとこれ分かりづらいはず)・・・と言う状態でなかろうか。

いや、白っぽくなくても、虚証の場合があるからね・・・とは、その発言をした医師本人には言ってないけど。

うーむ。
「陰虚」を把握できてないって、こういうとこにも現れるのね・・・と思ったね。



前回の手術後、体中のあちこちの皮膚の表面が、白く乾燥した破片となって、ぽろぽろとはがれた。
全身本当にひどかったので、「私は脱皮してんのかっ!!私はおろちになったのかっ!!!」と結構あわてた。
で、後になって、どうもこれ、経穴・経絡に沿ってはがれてんじゃないのか?なんてことも思った。
けど、あまりにあっちこっちなので、経穴との関連はよくわからんままに放置。
それが見られなくなるまで、半年ぐらいかかった。
中医学的にはこれ、血虚生風というやつではなかろうかと思ってる。

で、今回の術後。
やっぱり、そうなった。
でも、ほんの一部だけ。
期間も短くて術後何日かで始まって、術後1ヶ月の現在、目立たなくなってきている。

その部分を下の図に示す。


イメージ 1



青い線が2002年の手術痕、赤いのが今回。(なんか下手なフランケンシュタイン状態。もう温泉に行けない・・・泣・・といえるほど心身に余裕が出来た。)
で、ピンクの部分が、今回、皮膚がぼろぼろはがれた部分。
足裏は、左右両方ともこうなった。

これ、腹部の経穴及び足裏の反射区として考えると、両方とも腸にかかわる部分。

今回の手術では、ひどい癒着で小さな団子状になってた腸をほぐした。
結果、長年わずらってた腸の状態が、かなり改善されている。
まだもうちょっとガスがたまりやすかったり、動くと鈍痛がしたりするけど、今後調整できる範囲だと思う。

こういった事実から考えて、少なくとも今回のこの現象は瞑眩(西洋医学により生じたもの)なんだろう、と思う。
でも、前回の手術後の現象は、どう考えても体調の悪化を示すと思う。


こういうことから考えても、瞑眩の判断って、とても難しいよなぁ。。と思う。


現在私はといえば、心配していた右卵巣の大きさも正常に戻り、本日で術後丁度1ヶ月。

目下の問題は、腹の術創が大きいので、傷が引き連れる違和感と、体の体勢を変えたときに腸の位置が変わると鈍痛がすること、やっぱ、ちょっと疲れやすいかな、ってことぐらい。
たぶん、鈍痛のする位置・範囲が変わることと、つったような感じはしないことから、先日の手術による癒着というよりは、最初の手術による癒着を引っぺがした部分の傷の引きつれのような気がする。
腸も、以前とは比べ物にならないぐらい消化がよくなったし、変な部分に変に熱がこもることも、いくら大量に生薬を使用しても、なんかすっきり効かない・・・なんてこともなくなった。
おお、すんなり素直に効いてるぞ、って感じ。(おかげで経済的にもなった)

これからゆっくり体力も戻さなきゃ。軽いウオーキングからはじめよう・・・と思ってた矢先、猛烈な低気圧による暴風雪でうちの周りが雪で埋まった。
あと数日はうちに一人きりで誰もやってくれないので、いきなり雪かきの重労働しなきゃ・・・
湿った重い雪だし・・ひ~
雪と風が止んだらがんばらねば。

とまあ、なんか日常生活に戻ろうと必死で、なんだかんだやってたら、すっかり更新もご無沙汰。
でも、記憶が薄れてしまうので、記録しとかねば。


ということで術後すぐの話にもどる。
術前からのもともとの状態に加え、手術と輸血と熱で、津液を消耗しまくった私。陰虚が悪化して五身煩熱とかなんとかで、非常につらい状態に。
単純に考えれば、じゃあ、補陰すればいいんじゃない?なんだけど、そうは簡単にはいかない。
大々的に腸の癒着を引っぺがしたばかりだったので、3日ぐらいは、補陰剤のようなこってりした生薬を使うと、消化管に鉛の塊が入ったようになって、動かない腸が余計に動かなくなった。
(腸に関してはまた後日)
手術翌日は、とりあえず自力で漢方薬を調剤して親にせんじてきてもらったが(その時点で熱証が強すぎて、予測して用意していたせんじ薬が使えなかった)、そのタイムラグがつらくて。

何より、腸の癒着を引っぺがしたばかりで腸がうまく動かず、蠕動は弱く聞こえるので腸が動いてないってことじゃないけれど、それでもガスがたまっておなかがぱんぱん。これが痛かった。
しかも、トイレに行かないとガスが出ない感じで、尿管を抜かれたのもあって、頻繁にトイレとの往復。
(でも、これができるほど体力があったということで、これまた驚かれたんだけど)

医療用医薬品にはこういう状態に対応できるようなろくな薬品がない(パントテン酸は熱に偏ってるし術前使って効果が全然なかったので私は使えん)ので、しょうがないので、市販のガスピタンを使用。
これ、気休めぐらい思ってたけど、結構効いた。パントテン酸に比べたら、はるかに効果的。
ガスピタンって、寒熱偏らないし、チュアブルだから服用に水がいらないので寝たまんま使えるし、腸の癒着予防の術後ケアに便利に使えると、心底思うわ。・・・ただし、一般医薬品なので、処方してもらえないのが最大の欠点だけど(私の場合は病院側が「あんたの好きにして」な感じだったので使えたけど)。
でも、ガスピタンも、効果の点からは、方剤にはぜんぜんかなわなかった。
やっぱ弁証施治だわ。

術後の方剤の組み立ての話に戻ると、中医学の鉄則から言えば、外傷を負った後は、活血血瘀剤の使用が鉄則。

なので、術後3日は、腸に負担がかかりすぎる補益剤は控えめに(特に地黄何ぞはもってのほか)、喀血血瘀剤を何種類か使って、まずは血の滞りを流した。
特に、活血化瘀と消化をよくする両方の作用を持つサンリョウ、及び理気剤のキコクを強化。
おかげでガスであれだけ苦しんでたのが楽になった。あ~、やっぱ方剤だわ!!!と思ったね。
でも、活血血瘀剤を使用していると陰虚が悪化するので、腸の調子を上げた4日目からは、徐々に補陰剤を増やした。

ただ、予想の範囲だけど、その間、この方剤の影響に加え、熱による傷陰と、もとのが悪化して、肺や肝の陰虚が亢進してしまった。
おかげで術後、気管の乾燥で空咳が出て、腹部の大きな傷に響いて往生した。

空咳は、補陰剤を増量してその後改善したけれど、それまで腸の様子を見ながらだったので、せきが止まるほど補陰剤を使えるようになったのは何日か後のこと。
咳で傷に響くので、スチーム吸入器をもらって、それでしのいだ。
その間、看護師さんたちには説明がめんどくさいので、「風邪です」といってごまかし(いちおう板藍茶は使ってた)。
よい子はこんなことやっちゃだめよ。

ということで、術後、病院で出されたのは鎮痛剤と抗生物質と吸入器ぐらいで、あとは、自力(及び親のおかげ)でいろいろ何とかしてた。

なので、早く家に返してくれぇぇぇ!!!家だったら体調の変化にすぐに対応できるのにここじゃできないよぉ!!!とだだをこねて、早く退院してきたわけだ。


ちなみに、怖い話と言うか笑い話と言うか。
術後直ぐ、骨盤内の泄熱の作用のある活血化瘀の桃仁を薬品庫から探して使って!と親に頼んで、桃仁の現物を自分で見ないまま、翌日その方剤を持ってきてもらった。
それを飲むと、熱で便秘気味だったのが、あっというまに酷く下痢をした。
これは桃仁の潤腸作用が大きく出てしまったか!と思い、それを飲むのは1回で止め、又翌日まで桃仁を遣わない次の方剤が来るまで我慢した。

で、退院してから、やっぱお腹が硬いので、様子を見ながら桃仁を使ってみようかい、と生薬の入ったタッパをだしてみたら・・・・
カビてた。
思いっきり。

桃仁でなんかえらく下痢するなぁ、やっぱり手術の影響かなぁ、と思ってたんだけど、カビの影響でした、というオチで。
生薬を扱いなれていない親には当然分からないので、カビてるのをそのまま使っちゃったって訳。
術前見たときはカビてなかったのに!!!といまさら言っても遅いけど。

いやいや。
素人でやるって、こういうとこが恐ろしいのね・・・・
とは思うものの、やっぱり方剤を作ってせんじてきてもらったおかげで、経過がすごくいい。
ま、自分で気がついて自己責任で対処して、結果オーライなので、ま、いいか。
でも、今度(今度がありませんように)は、ちゃんと生薬を持ってきてもらって自分で調剤しよう、と固く心に誓った次第。




現在使用しているのは、

石膏・水牛角・地骨皮・芍薬・麦門冬・天門冬・玄参・カンレンソウ・サンリョウ・牡丹皮・牛膝・麦芽・枳穀・川楝子・党参・甘草・桑葉。

目下・・・というか、術後すぐから、石膏は、今手持ちの文献にある中で最大量である1日200~250gを使用中。

いや~
手持ちの石膏がなくなるスピードが早い早い。
販売元の薬局にもすぐになくなってしまって、次の入荷に時間がかかるようなので、「まだ大量に使うからね」と予告しておいた。

これ、術後から続く、気血の重い熱を抑えるため。

今回の手術で私は大量に輸血した。
血液10単位(200ml×10)と、血漿5単位。
肝炎ウイルスとかHIVとかなんとかの影響が怖いけど・・・しょうがないけどさ。そうなったらそうなったでまたがんばってみるけど。

で、術後意識が戻ってすぐ認識したんだけど、非常にしつこく重い、内にこもる熱が生じてた。
最初は手術による侵襲のせいかと思ったんだけど、それにしてはあまりにしつこい。大量の石膏や水牛角にすぐに反応してくれない。舌が赤紫のまんま。
あ、これ、輸血のせいなんだ、と思い当たるのに、時間はかからなかった。
(でも、症状はちゃんと徐々に抑えられてきたけどね。)

ここで驚いたのは、体温計に出てくるのは、せいぜい36.7℃ぐらいだったってこと。
体自体の熱感はひどくて、保冷剤をいくつももらって大血管のあるあたりに当てたりしていたんだけど、体温自体が高くないから、医師や看護師には、私が熱があるってわからなかったみたい。でも、「東洋医学的には熱があるんです!!」と言い張り、かつ私の場合はそっとしておいてもらえたので、ラッキー。
あ、これ、一見熱が上がってないように見えても、皮膚にじっと手を当てたら熱証だってやつね、間違って温熱剤を使うと悪化する状態ってやつなのね、と思った。
自分で首元に手を当ててると、実際いやな熱感があったし。
あー、これって、体温計に出ないんだ~と思った。

んでそのとき舌は、かつてないほどに「濡れた犬の毛」状態。
ああ~、熱で津液がひどく消耗してるのね、って感じ。

こういうことから、大量に輸血したからって、津液の消耗がやむわけじゃないんだ~と、思った。
このしつこい熱は、今も続く。
手術は11月18日だったんだけど、12月7日の今日現在せんじ薬を飲めばもう舌はピンクの(色のみで言えば)きれいな状態になる。
けれど、飲んで5時間も経つと、またぞろ赤くなってくる。
ま、もうしばらくは先に書いた内容の方剤を続けてみるさ。
よくなってきてるからね。

今回の私の輸血の最大の効果は、「補気」だった。
目が覚めて翌日起き上がってみて、うわー、元気だわ、私。って思ったね。
気虚のふらふら感なんかがまったくない。
(この輸血マジックは、術後5日ぐらいで消えてきたので、また補気にいそしむことになるのだけれど)

けれど、津液は消耗を続けた。
それに、あっちこっちに陰虚による五身煩熱で、それこそいてもたってもいられない、じっとしていられない状態に。術後安静が必要なときに、これはつらい。
これ、手術の翌日がこんな状態で、本当につらかった。
この日に自分で調剤し、翌日親にそれをせんじた薬を持ってきてもらう予定になってたんだけど、それまでつらくてつらくて、早く持ってきてくれぇぇぇ!!!と時間が経つのを指折り数えてた。
結局耐えられなくて、朝一番に持ってきてもらったけど。

世間では「輸液で陰虚が改善する」なんてまことしやかに言われたりするけれど、それやっぱり嘘だわ。
じゃなきゃ、こんなに陰虚が原因の五身煩熱で苦しむことは無かったはずだよ。
心・肝陰虚にはまったく効果がない。
肺陰虚のその場限りの症状緩和にはいいけれど、輸液をやめたとたんあっというまに、それこそ輸液をやめた直後に、もとにもどる。
ついでに、輸血でも、少なくとも肝陰虚・心陰虚に関して補陰はできなかったな。
これ、熱のせいかも知れんけど。でも、このままほうっとけば、陰虚がどんどん進むのは明らかだった

で。
現在、地骨皮も最大量近く(1日量13gぐらい)を使用している。
これ、清肺熱、清虚熱に使う生薬で、これを使うとおなかがゆるくなるため腸の状態がよくなるまでは使えなかった。
なので、使い始めたのはごく最近なんだけれど、地骨皮を使うまでは、熱がちゃんと下がらなかった。

地骨皮は、交感神経の過興奮を抑えることで熱を下げる働きがある。
で、この地骨皮を大量に使用することで、ようやくすとんと熱証がよくなってきたと思う。

大体、陰虚って、単に体液が足りないってだけじゃなくて、交感神経の過興奮なんかもかかわってくる現象。
医学的に考えても、単に輸液したって、交感神経系には作用しない。
よって、陰虚に輸液しても、効果が期待できないってわけだ。
脱水と陰虚は分けて考えないとね(もちろんその二つは相互に作用しあうから無関係じゃないけどさ)。
・・って、これまでも散々言ってきたことだけど。

ともかく、輸血って、体にいいことばっかりじゃないよな(感染症の心配を別にしても)~と、つくづく感じたね。

命には代えられないけども。

先月18日に開腹手術をし、筋腫が多発していた子宮全体と片方の卵巣を取り、かつ、前回の手術でひどく癒着して団子のようになってた腸をほどいて、退院してきました。

で。
これにより得られた最大のものとは、これまでの原因不明の体調不良は、腸のひどい癒着だったと確定したこと。
医師から「よくこんな状態で普通に暮らせてたね」
なんて言われ。(いや、普通に暮らせなかったから自力ででこれだけ体調をあげてきたんだって)

これまで、あちこちで散々ドクターハラスメントを受けてきたけれど、ようやく、その根本原因が判明したことで、溜飲が下がった。
「あんたたちのほうが間違ってたんじゃないか!!!」って。

いや、そりゃ腸の癒着なんて開腹しなきゃちゃんとはわかんないけどさ。
消化器の専門医が腸が癒着してるっていってんのに、癒着自体を否定する医師も今まで非常に多くて、あれはいったいなんだったんだろう???と思う今日この頃。

さて、今回、手術に踏み切ったのは、漢方薬でケアしてたにもかかわらず肝陰虚が抑えきれず、どんどん悪化してきたから。
これまでの経緯を考えて、医師サイドはあまり手術に乗り気じゃなかったところを、これ以上放置して出血し続けて肝陰虚が悪化すると命にかかわるからっ!!!体調を上げてきた今がし時だからっ!!!(半年前までは手術するのを躊躇するぐらいあまり体調に自信がなかった)また全身状態が悪くなってから手術すると大変だからっ!!!と検査、手術に踏み切ったんだけど・・・これも、原因が判明。

左の卵巣が、チョコレート嚢腫になって、径7cmぐらいに。それに、癒着した腸が巻きついて団子状態という、大変なことになってた。

東洋医学的に言う「肝」(肝臓・目・筋肉・生殖器・情動にかかわる機能的概念)がどんどん悪化してたってのがわかってたけど、熱証がひどかったので肝臓(解剖学的)がまずやられるはず・・・放置すると命にかかわるっ!!と思って手術に踏み切ったけど、ふたを開けてみれば、卵巣もひどかったか・・・・
と、ここは私の予測外だったけど、ま、肝の異常ということでは予測は一致。

手術時右の卵巣は正常だったけど、退院時には通常3cmのものが4cm程度になってたので、目下こっちが心配。

手術による物理的刺激への反応なのか、手術でもともと悪かった肝陰虚がさらに亢進したからなのか???といろいろ考えるが、とりあえず、経過観察が必要。


手術自体は正味4時間、家族に再会するまでは8時間かかり、その間体内の血液を2/3ほど失って近隣の町からも血液製剤をかき集めて大量に輸血し・・・という大変な状況だったようで、家族のみならず医療従事者にまで多大な心配をかけ・・・というものだったらしい(意識がなかったので人ごと)。

輸血した自分の体を考えてみて、いろいろ面白いことに気がついたので、これはまた今度。

で。
手術前の時間をかけた布石が効いて、こちらは病室で術後翌々日から自分で調剤した(というか親に指示して煎じてきてもらった)煎じ薬を飲み(っつーか手術直後から病室で自力で調剤した。このために無理やり個室に入った。)・・・ということができ、きめ細かい体調への対応ができたので(煎じてきてもらうのに1日タイムラグがあったが、体調が術後めまぐるしく変化するから、実際これが非常に痛かったが)、めきめき回復。

術後病院サイドから出されたのは鎮痛剤と抗生剤ぐらいにもかかわらずとても状態がよかったので、「あれだけの大手術したのに何でそんなに元気なの???」といわれつつ、大手術になるとわかる以前に設定された退院予定日を1日はやめて、退院してきた。

目下、前回の術後よりはるかに楽。

で、思うこと。


これまでの体調不良は、現代の医学の限界と、医療過誤によるものが、半々だった、ってこと。


前回の手術・術後の体調不良で私が失ったものは、10年以上にもわたる健康な生活、仕事、子供、・・・と計り知れない。

けれど、それでも、得たものはある。

だって、今回は中医学的に早く対応できたから(こういう好き勝手を許してくれた病院・医師に感謝!!・・・って、こういえる日が来るとは思わなかった)、今、こうして回復してきている。
ま、今回もここで気は抜けないし、どこまでできるかもまだ未知数だけどさ。

でも、中医学を使えなかったら・・・・
あの、術後すぐの七転八倒(五身煩熱とかいろいろ)がずっとずっと続いてたんだろうな、出血も続いてたろうな(意識が戻ってみたら抑えてたはずの血熱がぶり返してた。そりゃ手術中に大量出血するわ。)、炎症反応もこんなに早く改善しなかっただろうな、輸血による副作用も大変だったろうな、腸もあまり動かずにまた癒着してただろうな(いや、ざっぱり大きく開腹した以上は今回も絶対癒着してるとは思うけど)・・・なんて。

今回は、本当に、日本漢方にはない温病学のおせわになりっぱなし。
これを勉強してなかったら、完全にアウトだった。

今回病院サイドもいろいろ調べてくれたけど、中医学的に術後管理してくれる病院なんて、やっぱり日本にはなかったし。

だから、一般の人って、大変だぁ~と思った。
こういう恩恵にあずかれないんだもんな。
ずっと苦しみながらじっと病室で我慢するしかない。

でも「私って、ラッキー」
だけでいいのかな???
とは思う今日この頃。

さ。先のことはおいておいてとりあえず。
まずは目の前の自分のことがんばろ。
退院して数日しか経ってないし、体調もまだまだ問題抱えてるし。


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